僕は江川卓が甲子園では間違いなくNO1の投手だと思う。実際に彼が投げている姿をライブで見たわけではないが、やはり甲子園の怪物といえば、松坂、桑田、清原、松井よりも「江川」だと思う。
江川と言えば「空白の一日」が有名ですが、これって何だろうって思う人もいると思います。
ちょっと僕なりにまとめてみました。
江川は、1977年のドラフトで、クラウンライターの1位指名を受けていたが、入団を拒否する。
しかし、そのクラウンライターは、1978年10月12日に西武に身売りすることとなった。
これは僕の見解であるけど、クラウンライターは元々身売りをすることが決まっていて江川の交渉権を
プラスアルファーして西武に高い値段で売ろうとしたんでしょうね。
江川は、巨人に行きたかったので西武に入る意志も見せず、野球協約第138条によって、
交渉期限とされている次のドラフト会議(11月22日)の前々日(11月20日)が終わり、西武は交渉権を失った。
そして、その翌日の11月21日、この日は、ドラフト会議の前々日ぎりぎりまで交渉を続けていた球団が次のドラフト会議場に移動するための移動日だったが、
巨人は、その日を利用して江川と入団契約を結ぶ。この日があの有名な「空白の1日」である。
つまり、野球協約に、ここで1日の落とし穴があったわけで、要するにこの日は何もルールがないから「勝手に契約しちゃえ」ってことで巨人が江川と契約したわけです。
セリーグ事務局は、即座に江川と巨人の契約を無効との判断を下したため、怒った巨人は、その翌日のドラフト会議をボイコット。
阪神・南海・ロッテ・近鉄の4球団が江川を1位指名。抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を得た。
これも凄い話で、セリーグの事務局が「ふざけるなよ!そんなの無効だ!」に対して巨人はセリーグ脱退宣言をしたわけです。
江川を会得するために天下の巨人がそこまで行動を起こしたわけです。それほど江川は凄い選手だったんですね。
ここでのポイントは阪神があえて江川を指名したことです。「江川は金になるんじゃないか?」と思ってあえて指名したんでしょうね。
しかし、金子コミッショナーは、阪神は江川と契約した後、巨人へトレードに出すように要請する。極めて異例のことだった。
1月31日、阪神は、江川と契約を結び、翌2月1日に小林繁との交換トレードで巨人に入団する運びとなった。
この一連の騒動により、「空白の1日」、ごり押しすることを意味する「江川る」という言葉が流行語になっていった。
この結論を言うと巨人が日本の野球界から脱退したらおしまいだから巨人は江川そして阪神は小林で強引に幕を閉じたわけです。
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