池田高校が旋風を巻き起こしたこの年の夏の大会から高校野球に金属バットが採用されました。
鋭い金属バット音を山あいのグランドに響かせる池田高校の打線は
いつしか「やまびこ打線」と呼ばれるようになっていきます。
そして日本中をあっと言わせたのが、畠山準(はたやま・ひとし)投手を擁して挑んだ
1982年夏の甲子園。
池田高校の「やまびこ打線」はすさまじいパワーを見せつけます。
この大会では、6試合で通算チーム本塁打7本、85安打など
それまでの大会記録を次々と塗り替えていきました。
準々決勝では早稲田実業の荒木大輔投手に3本のホームランを浴びせ
14対2で圧勝しました。
それまで2度甲子園の決勝に進みながら優勝に届かず
自らを「準決勝の蔦」としていた蔦さんは
決勝戦の朝、選手たちにこう切り出しました。
「私を日本一の監督にしてください」
「攻めダルマ」と呼ばれた蔦さんの采配は、
決勝戦でも変わらず、「やまびこ打線」もその威力をいかんなく発揮、
7連続安打を含む猛攻で古豪広島商業を12対2の大差で下します。
蔦さんは監督就任30年目にして初めて全国の頂点に立ちました。
続く83年春の選抜でも「やまびこ打線」の猛打は
とどまることを知りませんでした。
エースの水野もすべての試合を1点以内におさえる豪腕ぶりを発揮し、
池田高校は無敵の強さで史上4度目の夏春連覇を果たしました。
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