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1968年10月(1969年1月号)から雑誌に連載開始。
以来一度も休載せず、現在も「ビッグコミック(小学館)」にて好評連載中。 PR |
僕が見た甲子園・・
83 選手権準々決勝 池田3−1中京 夏春夏の3連覇のかかった池田と野中擁する中京との事実上の決勝戦。非常にハイレベルな攻防でした。 池田は2回に1点先制。中京は3回に1死満塁のチャンスを迎えますが4番・野中がゲッツー。 5回に池田はヒットの井上を1塁に置き1番・坂本が右中間へ。 井上が長躯本塁を狙いますが中京の正確な中継プレーで本塁タッチアウト。 その裏、中京は1死3塁のチャンスに2番・安藤がタイムリーを放ち1−1の同点に。 これで流れは中京に傾きます。6回、中京は5番・紀藤の2塁打などで1死3塁と勝ち越しのチャンス。 7番・佐々木の打球は高く弾んで投手・水野の前へ。紀藤は本塁突入しますがタッチアウト。 続く7回、中京は2死3塁のチャンスで3番・鈴木。 鈴木の打球はセカンドの頭を越えるかという当たりでしたがセカンドの好プレーで無得点。 そして9回、池田は7番・高橋がフルカウントから野中が投じた内角高めの速球をレフトへ勝ち越し本塁打。 (打たれた直後、野中がマウンド上でしゃがみ込んだ場面は印象に残ってます。)さらに1点追加し3−1で池田が制しました。 この当時、正直言って池田は大嫌いでした。理由は、”池田さえいなければ野中のいる中京は少なくとも1度は甲子園で優勝出来た”と子供心に思っていたからです。 そう言った意味で、この試合は私的に避けては通れない1戦です。 この試合に出てた選手でプロに行ったのは、池田高校の水野、中京の野中(阪急→台湾→中日)、紀藤(広島→中日→楽天) 紀藤は、当時は野中の控え投手だった。 |
春の選抜大会にはじめて出場した池田高校は
わずか11人の部員で準優勝を飾ります。 のちに蔦さんはこの大会を「最も印象に残る大会」にあげています。 |
昭和54年夏、初戦(2回戦)の札幌商(北海道)を7対3で破り、
春夏連覇に向けて好スタートを切ったが、3回戦で奇跡のドラマとして語り継がれる星稜との名勝負を迎える。 好投手・堅田外司昭(松下電器)との投げ合いは、4回の表裏に1点ずつ分け合っただけで1対1の同点のまま延長戦に突入する。 12回表、星稜・音(のち中日)の安打と山下の死球で1死一二塁とした後、二塁ゴロエラーで勝ち越された。 |
ゴレンジャーのフィギャーをついに全部そろえた!
苦労しましたよ。しかもやたら高いし。 |
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